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京都大インタビューの様子

京都大学のインタビューの様子
文責:御村
京都大学吉田キャンパス
学部生一回生対象ポケットゼミ
参加者:バシル、ヒシャム、御村

以下インタビュー内容:

スーダンの紛争について。近年の紛争は小型武器が多用されていると聞いたが、カラシニコフ銃などに対してどのような印象を持つか。
・ 軍のトレーニングで友人が用いた。
・ 砂漠などで用いる民族も。
・ バシルとヒシャームは北部出身であり、実際に内戦は経験していない。
・ しかし、親戚や友人、隣人には紛争によって亡くなった方もいる。
・ 南部では地雷被害も多く、20代で被害を受ける人も多い。

紛争の原因は何だと思うか?
・ アラブ・非アラブの対立とも言われるが、原因は断定できない。政治や石油問題、多文化、人種など様々に関わっているのだろう。
・ 普段は特に対立もなく、一緒に生活している。

水問題といわれることもあるが?
・ 水問題や気候変動も取り上げられるが、水の量が急激に減ったわけではない。
・ むしろ石油・資源の利害対立が原因である。これを言えば、スーダン人に関係ないことが分かってしまうから言わないのでは。
・ 実際に1984年アフリカ最大の大飢饉に、ダルフール地方でも大きなダメージがあった。しかし紛争は起こらなかった。水や食料が紛争の原因であれば、当時紛争が起こらなかった説明ができない。

ダルフールの難民キャンプでは、大規模な援助が行われているが、それによって生活面は改善されたのか?
・ 援助団体がしっかりしていなかったり、援助の質が悪かったりして、必要な援助がなされているかは分からない。

諸外国からの援助で喜ばれていないものはあるか?
・ 食糧なども最低限しか提供されていないから、援助以上に故郷に帰れることを望んでいるのでは。実際に援助が喜ばれているか分からない。
・ 難民キャンプ自体が紛争などを想定した一時的なもの。教育や就労の場は提供されない。
・ ただし南部は農業が主であり、貧しい人も多い。北部に来たことで帰って安定した生活にアクセスできる人も。

難民に会ったことはあるか?
・ 南部・ダルフールから逃げてきた人に会った。家の近くに住んだりすると、物資援助をしたりする。
・ 彼らは家事手伝いをしたりする。社会的に地位も低く、心理的に不安定な人も多い。
・ 仕事がないからお金もなく、犯罪に走る人も。すると彼ら難民全体に対してもイメージが悪くなってしまう。

援助がうまくいかないことはよくあるのか?
・ 団体が点字盤を送ったときに、教育庁で止まってしまって学校に届いていないことがあった。
・ 援助の横流しとかもある。援助をする側もモニタリングなどのフォローアップをしっかりするべき。
・ 援助を受け取る側と、提供する側の両方が責任を持つべき。
・ 一般の人は自分のことで精一杯だから。

ダルフールを始めとする南部の教育について
・ 一般人は教育を受けていない。
・ 北部の人は教育を受けることができる。

大学数は多いようだが、機能しているのか?
・ 北部では一通り機能している。1960年代より急に普及してきた。
・ 今、南部の大学はキャンパスを北部においてある。

かつて北部を重点的に開発したとか。南北格差はどうなっているのか?
・ 北部と南部の開発の差は激しい。北部は公務員などの制度も整い、仕事も充実している。今後の日本のように発展していくのではないか。南部は内戦ももちろん、農業が中心で、インフラも整っていない。
・ 医療についても南北間に格差がある。
・ イギリスの南北政策が差別意識を煽ったのは確かで、今の全ての問題がそこに集約すするとも言えるのでは。
・ 1947年に南部のジュバにおいて南部の人たちが集まり、北部と統一するか分離するかを話し合った。結局統一することが決定し、この辺から分離政策が揺らいできたようだ。
・ 医学部の人などは研修をイギリスで受けている。研究のためでもある。日本で学んでいる人もいる。
・ 看護士についても看護学校がある。
・ 1990年代頃から、今までにないくらい、何もかもが発展しだした。

スーダンの教育はどうなっている?
・ 日本の大学とスーダンのシステム
・ 1990年代から小学校8年、高校3年で、計11年間学ぶ。

スーダンの大学と日本の大学の違いは?
・ 日本の大学はやはり、お金も技術もある。
・ 学生の様子はほとんど変わらない。

何かサークルはあるか?
・ 大学によるが、男性だとサッカーなどが多い。
・ 日本で言う部活よりも、有志で集まるボランティアの活動が多い。@@大学@@会といったように会を作って、塾を開いたり、先生の不足している学校で教えたり、医学部の学生が集まって小さな診療所を開いたり、地域の開発活動が盛ん。

スーダンは農業が盛んだそうだが、かつて政府が人々の土地を収奪するなど、ひどいことをしたと聞いた。それはどのようなものだったか。
・ スーダンでは綿や小麦栽培が多かったが、ここ15年くらいで都市化が進んだ。
・ 政府の政策は利益が少なく、農業は悪くなった。今は農業を辞める人が多く、石油などの資源を扱う職場の方が魅力的のようだ。農村の人も都市に出て働いたりしているから、過疎化が進む。
・ 今まで農業は税が免除されてきたが、今では多額の税収を取られるようになった。収穫高もかつてはすべて自分のものだったが、今は一部をとられてしまう。

自給率も下がってきているのでは?
・ 南部の人たちは、農業で作るものは自分で食べる分だけ。南部は気候が良くて、雨が多い。フルーツもたくさんある。
・ 彼らには、売って現金収入を得ようという考え方がない。
・ 南部は教育レベルも低く、紛争や政府の政策も影響している。


2人の日本での生活について聞きたい。日本へ留学したきっかけは?
・ 国際視覚障害者援援護協会というのが、あんま・マッサージなど日本で教えるために、世界中から留学生を呼んでいる。このプログラムに参加した。

スーダンにいたときの日本のイメージは?日本に来てから驚いたことは?
・ メディアでしか知らなかったが、いいイメージ。日本製の車や家電などは有名だし、産業が発展しているというイメージだった。
・ 日本に来てからは、日本の小ささや家が木製だったことに驚いた。箸も使えなかったし、食べ物も違ったし。

スーダンの食生活は?好きな食べ物は?
・ スーダンではパンや、ラム肉を良く食べる。
・ 小麦は輸出していたが、今は人口が増えてきたため、国内で消費してしまうのではないか。
・ 日本では、バシルの家では奥さんがスーダン料理を作ってくれる。輸入品ショップで食材を調達する。
・ スーダンと日本では水の味も違う。味噌汁をスーダンで作ったらまずかった。
・ バシルは納豆が食べられない。
・ ヒシャムは、うどんなどの麺類が好き。

スーダン人のネットワークはどうなっているか?
・ スーダン人とは、日曜とかナショナルホリデーとかに家族同士で集まったりする。
・ アフリカのコミュニティーというよりはスーダンの人と会う。
・ 京都にも何人かスーダン人がいる。つくばでもスーダン人と知り合った。岐阜にはスーダン人はヒシャムひとりだった。
・ 家族との連絡は携帯電話が多い。スカイプも使ったりする。頻度は人それぞれ。

日本で困ったことは?
・ 食べ物、言葉、気候。はじめて来たのが冬だったため、最初は耐えられなかった。
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